こんにちは、窪田忍です。
前回に引き続き、今回も私が経験した大学駅伝に関する記事となります。
今回は全日本大学駅伝。
陸上好きな人には、『全日本といえば駒澤大学』というイメージを持つ方もいらっしゃるのではないでしょうか。
そんな駒澤大学での私の4年間をぜひご覧ください。
◆全日本大学駅伝と駒澤大学

さて、冒頭でも挙げたように、全日本と言えば駒澤大学とよく言われています。
そのイメージ通り、これまで開催された56回の大会の中で、以下の3つの大きな記録を打ち立てています。
①大会記録
2022年の第54回大会で記録した5時間06分47秒という記録。この記録は従来の大会記録を4分以上も更新する、まさに圧倒的な記録でした。また、現在の歴代2位の記録(こちらも駒澤大学、第55回大会に記録)は5時間09分00秒と、圧巻の大会記録です。
②通算優勝数
56回のうち、4分の1以上を占める16回の大会で優勝しています。特に直近20回のうち12回が駒澤大学の優勝と、近年の全日本大学駅伝では驚異的な結果を残しています。
③最多連覇数
全日本大学駅伝の最大連覇数は4回。これを達成した大学は駒澤大学・早稲田大学・大東文化大学の3校あります。
その中でも駒澤大学が他2校と違うのは、それを2度達成しているということです。
その他にも、3連覇を1度、2連覇を2度達成しています。
以上のことから、『全日本=駒澤』というイメージが定着しているのも納得ではないでしょうか。
では、ここからは私の4年間に移らせていただきます。
◆1年生
出雲駅伝に引き続き、チームの目標は3位以内。
私が任されたのは6区(12.3km)でした。起伏も少なく、所謂繋ぎ区間といった区間でしたが、非常に緊張していたことを覚えています。
理由は大きく2つ。
1つ目は、距離に対する不安。
全日本大学駅伝は、8区間のうち7区間が10km以上の距離となっています。
唯一10km未満の3区(9.5km)は、チーム内でもスピードのある選手が配置される傾向にあります。
それまでレースで10km以上の距離を走ったことのなかったことと、後半区間ということで単独走となる可能性が大きかったため、ペースを崩さずに走れるかどうか不安がありました。
2つ目は、『駒澤大学の6区』であるということ。
単に6区というだけであれば、繋ぎ区間で最低限しっかり繋ごうという気持ちで臨めたかもしれません。
ところが、当時の6区に関しては、なんと前年まで9年連続で駒澤大学の選手が区間賞を獲得していました。
もちろん、それまで6区を主力選手が走るだけのチーム力があったということもあると思いますし、大八木監督が区間賞を意識して私を配置した訳ではなかったと思います。
そんな区間を走る上で、区間賞を意識しない訳がありません。
そんな訳で、自分自身に過剰にプレッシャーをかけてしまっていたと思います。
レース展開は、1区から上々の滑り出し、3区で同期の油布郁人選手が区間新の好走を見せ流れに乗った展開でした。同期の好走は非常に励みになりましたし、自分もやってやるぞという気持ちは芽生えました。
襷が渡ったのは3位。チームの目標順位内ではありましたが、前を行く東洋大学は離れた状態で、後ろも離れていたため完全な単独走でした。
前述した通り、不安はあったものの、単独ということで自分が今出来る走りをするしかないといったところでした。
とにかく突っ込んで入らないこと、設定ペースを守ることを意識し、走っている時は全くと言って良いほど区間賞のことは考えていなかったと思います。
結果、順位変動はなかったものの、自身で意識したことをしっかりと守り切り襷をつなぐことが出来ました。
そして区間順位ですが、なんと区間賞を獲得することが出来ました。
この結果に一番驚いたのは私自身でした。
苦手だった単独走の克服、過剰な緊張の中での結果と、思えばこの大会から競技に対する意識もより高くなったのを覚えています。
チーム順位も、7区での区間賞獲得と8区の追い上げで、2位でゴールすることが出来ました。
また、この大会では8区間中4区間で1年生が区間賞獲得と、同期へのライバル意識も高まった大会でもありました。
◆2年生
この年、『大学駅伝三冠』を目標に掲げた初戦の出雲駅伝で2位となり、全日本こそはという思いが非常に大きくなっていました。
チームとしても、トラックシーズンに10000mを重視して取り組んでいたため、全日本に対する自信は持っていました。
前半で流れを作れるような区間配置をし、私はアンカーの8区を任されました。
1区~7区までを10km前後~15kmで構成される中、8区は19.7kmと一際長い区間でもあり、後半に長い上り坂のある難しいコースでした。
大会前に試走した感覚では、後半の上りに向けてのレース運びと上った後の余力次第で、レース展開を数パターン考えていました。
長い距離とはいえ、箱根駅伝で20km以上の距離を走っていたため、距離に対する不安はそのころにはありませんでした。しかし、大会2,3日前から調子が上がり切らない感覚と、重さがある様に感じており、少しモヤモヤした状態で臨むことになりました。
レースが始まると、1,2区の選手が上位でしっかりと繋ぎ、3区油布選手の2年連続となる区間賞を皮切りに5区まで連続の区間賞。大学として10年連続で区間賞を獲得していた6区は惜しくも数秒差で区間賞とはならなかったものの、7区で再び区間賞。まさに盤石のレース展開。私が襷を受けた際には、2位の東洋大学と2分ほどの差を開けてトップ。
本来であればセーフティーリード。しかしこの時の私は、調子の違和感、初めてトップで受ける襷、自分の走りで全てが決まる…とマイナスなことばかり考えていました。
スタートから明らかに動きが悪く、2,3km走っただけ「これはマズい…」という焦りがあったことを覚えています。とはいえ何としてもトップでゴールしなければという、半ば使命感のような思いが交錯するなか、問題の上りに入ります。
全く思うような走りが出来ない中、とにかくがむしゃらに走りました。上り切った段階で足が攣り始め、焦りが頭の中を支配しているような状況でした。
もはや冷静な判断はできない状況だったため、とにかくトップを死守すること、ただそれだけを考え、後ろは一切振り向かず走り続けました。
あと何キロ、何分走ればでゴールがあるのかも分からない中、ようやくゴールに入っていく直前のカーブの誘導を認識した瞬間、嬉しさよりもとにかく安堵したことを覚えています。
無事トップを死守し、私自身初となる『大学三大駅伝優勝』をすることが出来ました。
この時、後ろの状況は全く把握していませんでしたが、2位の東洋大学の猛追により、2分あった差が30秒にまで縮まっていたことを知った時、本当に紙一重のところで勝てたことに、改めて心から安堵したことを覚えています。
まさに、チーム全員に助けられて手に入れた優勝でした。

因みに、この後の全日本大学駅伝も全て8区を走ることとなります。
◆3年生
前年度優勝校として臨んだこの大会でしたが、チームにあったのは出雲駅伝惨敗による悔しさでした。
「三冠は出来ないが、全日本は譲れない。」そんな思いがチーム全体として強くありました。私としても、どんな状況でも絶対にトップでゴールしてやるという思いはかなり大きなものでした。
レース展開は、トップではないものの、射程圏にとらえながらといった展開。しかし、少しずつでありながらも確実にトップの東洋大学との差は開いていました。ちょうど前年とは真逆の展開です。
しかしその展開が、逆に私の気持ちを落ち着かせていました。
事前のミーティングでもある程度そういった展開になることは想定していましたし、東洋大学のアンカーは当時1年生の服部勇馬選手。私は前年の経験から、追われる側のプレッシャーを知っていました。
1分30秒までなら十分逆転できる差だと思っていたところ、私に襷が渡ったのは1分07秒。前年はチームに助けてもらった分、今回は自分がチームを助ける番だという思いもありました。
大きな差がある時のレース運びは2パターンあります。
前半一気に追いつくパターンと、勝負どころに向けて徐々に差を詰め行くパターンの2つ。前者は前が見えている際には有効ですが、そうでない時に差が縮まっているかどうかが分からず、最悪オーバーペースで自滅することも考えられます。
この時私が選択したのは後者。後半にきつい上りがあることも分かっていましたし、ペースを乱さなければ十分そこからペースアップして追いつけると考えていたため、前半の5kmまではあまり突っ込み過ぎず、5~10kmの展開次第でどこからペースアップするかを考えていました。
前半はそれほど差を気にしていませんでしたが、5kmを過ぎてから明らかに差が縮まり、10kmを過ぎてついに追いつくことに。後ろにつくことも考えましたが、ペースが落ちていることは明白だったため、予定よりも早めにペースアップ。
そのまま大きなハプニングもなく、大会新記録での2連覇を達成しました。

この大会で大きかったのは、全員がしっかり自分の走り・役目を全う出来たこと、私は前年の苦い経験を活かせたということだと思います。
◆4年生
この年は、出雲駅伝でついに優勝し、目標とする『大学駅伝三冠』の切符を手にした状況で迎える初めての全日本大学駅伝でした。
とはいえ多くの経験を積んでいたため、過剰に緊張することなく、かつ慢心することもない非常に良い精神状態で大会に臨めていだと思います。
出雲駅伝で優勝していたものの、東洋大学との力の差はそれほどなく、接戦が予想されていました。私自身、どんなレースにも対応出来るような経験と気持ちがありました。
そんな中始まった第45回大会、1区の中村匠吾選手の区間賞から始まり、2区では西山雄介選手が東洋の服部勇馬選手に逆転され2位に後退、しかし差は30秒ほどに抑え、3区は同期の油布選手がこの区間4年連続区間賞という偉業を成し遂げトップと10秒差に…と、まさに大接戦でした。
勝負が動いたのは4区。村山謙太選手が区間新記録で一気にトップに立つと、どんどん差を広げ2位と1分以上の差をつけトップで襷リレー。
それを足掛かりにその後の区間も差を広げ続け、私が襷を受ける時には2分30秒近い差がついていました。
プレッシャーはなく、ほどよい緊張感を持つ、心身共に非常に良い状態でスタートし、集中してレースを運べていましたが、1つだけミスをしてしまいました。
11月とはいえ日差しが強く、少し暑く感じる中でスタートしたのですが、5kmを過ぎたあたりの最初の給水が見当たらず、給水が取れない事態に。
そこまで大きく気にしていませんでしたが、後半の上りを終えた所で脚が攣り始めてしまいました。ただ、そこで慌てることなくペースを調整できたのも、これまでの経験があったからこそだと思います。
その後は無事走り切り、大会3連覇を達成、そしてこの優勝で当時の最多優勝数タイとなる11回目の優勝となりました。
ただ、このレースの個人タイムは前年より30秒ほど遅かったのですが、もし前年と同じくらいのタイムで走れていれば大会新記録だったため、少し悔しい気持ちもありました。

また、この翌年、後輩たちが最多連覇数タイとなる大会4連覇を果たすことになるのですが、そのきっかけを作れたこともいまでは誇りに思います。
様々な思いを抱きつつ、一番強かった思いとしては、ついにずっと目標としていた『大学駅伝三冠』に王手をかけたということに対する思いでした。
◆最後に
私にとって全日本大学駅伝は、競技者として大きく成長させてくれた大会でした。
単独で走る力、追われる展開、追う展開と、どれもこの大会の経験で身につけたと言っても過言ではありません。
今年は國學院大学が出雲駅伝で連覇を果たし、流れという点では現状一歩リードしているでしょう。
しかし、全日本大学駅伝に向けて、競合校はより気持ちが入っていることと思います。
出雲駅伝より距離が伸び、見応えも増す全日本大学駅伝。
今年も目が離せません!
執筆担当

aile RUNNING CLUB 熊本 代表
窪田 忍 (Shinobu Kubota)
◆経歴◆
鯖江高校(福井)/駒澤大学(東京)/トヨタ自動車(愛知)/九電工(福岡)
駒澤大学では、大学三大駅伝に4年間全て出場。
区間賞5回獲得(出雲2回、全日本1回、箱根2回)した他、日本人トップ4回。
出場12回中11回が区間3位以内。
実業団では、2015年・2016年と、トヨタ自動車史上初となるニューイヤー駅伝連覇に貢献。
引退後、小学生〜大人まで幅広い世代の指導を行う他、オンラインにて全国のランナーに向けたレッスンも行なっている。
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