こんにちは!!
今回は中学3年生から佐久長聖高校に入学するまでのお話しとなります。
佐久長聖高校入学までの道のり
私は2年生の後期から記録がグングンと伸びてきて、2年生最後の試合では全国大会の標準記録を突破できるほどのタイムを出すことができました。
それと同時に今年のチームは自分が引っ張っていかないといけないという自覚も出てきました。
当時の全国大会出場資格のタイム
1500m→4分12秒00
3000m→9分5秒00
※これを指定大会になっている通信陸上選手権、中学校総合体育大会県大会のどちらかで上記の大会で突破しないと全国大会には出られません。
佐久長聖高校入学の決意も固まり、タイムも伸びてきて中学生としてのラストシーズンもとても気合いが入っていたことを覚えています。
しかし、ここで初めて壁にぶつかることになりました。
今まで指導していただいていた顧問の先生が異動することになったのです。
公立の中学校なので6年おきに先生達は学校を異動になるので、そのタイミングにぶつかると途中で指導者が変わってしまいます。
新しく赴任された先生の元で頑張れば大丈夫と思っていたのですが、その先生が陸上部顧問には着くが指導に関してはあまり関与しないということでした。
大会の申し込みや引率はしてくれますが練習に関しては自分たちだけでやる!という感じでした。
幸いにも今までやってきた練習メニューなどを記録したノートを先輩方が残してくれていたので、それを基に自分たちで練習をするようにしていました。
しかし、やはり指導者がいない中で今まで通りに成果を出すことを難しく記録も伸び悩みました。 その頃の私には自分で考えてやる力はまだありませんでした。
他校のライバルはどんどん力をつけていっている中、自分だけが伸び悩みとても焦っていましたね。
そして佐久長聖高校に行く前にしっかりタイムを出しておかなければ通用しない!とも思っていたので状況としては最悪でした。
そこで両親と相談した結果、土日だけは前顧問の先生がいる学校に練習に行くようにしました。
そこは両親がしっかり許可を得てくれていたので特に問題もありませんでしたし、走りを戻すのに良い悪いを言っている場合でもありませんでした。
そのおかげで何とか調子を戻していくことができタイムも安定するようになりました。
全国大会の切符がかかっている通信陸上での藤井の結果
1500m 4分11秒97
3000m 8分58秒70
ここでやっと2種目で標準記録突破することができました。
あんなにホッとした瞬間は初めてでしたね!笑
初めての全国大会
全国大会の会場は岐阜県でした。
九州以外の地で大会に出るのは初でしたので、不安と楽しみな気持ち半々の状態でした。
事前の調整もバッチリでしたが試合当日は完全に空気にのまれてしまい、持っている力を全く出すことができずに予選敗退という結果になりました。
佐久長聖高校前監督の両角先生も観に来ていたのに全く良い走りを見せることができませんでした。
そして全国大会の会場でもいつも通りしっかり怒られました。笑
初の全国大会での唯一良い思い出は、岐阜名物のういろうを沢山買えたことでした。笑
その後も練習をしっかり取り組んで、中学校最後の目標にしていた都道府県対抗駅伝の選考会でも勝ち残り福岡県代表として走ることもできました。
最後の難関 高校入試
大きな大会も終わりホッとしたのもつかの間。
最後の難関である入試が残っていたのです。
言うまでもなく勉強が大の苦手だった私は最後まで勉強することはありませんでした。笑
入試は佐久長聖高校でありましたので、余裕を持って前々日から近くのホテルに泊まりました。
事前に練習もすると連絡をもらっていたので、私は完全に試験ではなく遠征気分で準備をしていました。
練習は高校生と一緒に走り、レベルの高さをとても実感しました。
試験前夜に明日の準備でもしようと思った瞬間、とんでもないものを忘れてしまったことに気づきました。
皆さん私は遠征気分で準備をしたと言いましたよね?
そうです。制服を福岡の自宅に忘れてしまったのです。
母親は呆れていましたし、あの時の絶望感は最大級でした。笑
すぐに両角先生に連絡をして、当日は上下ウインドブレーカーで試験を受けました。
もう目立つどころではなかったですね。
360度から視線が刺さる、刺さる。
あの5時間は死ぬほど恥ずかしく試験どころではなかったのを覚えています。
世界広しと言えど、ウインドブレーカーで入学試験を受けたのは私ぐらいではないでしょうか?笑
それでもなんとか努力の結果、合格の切符を手にしました。
こうして入学前から歴史を作ってしまい福岡県を旅立つことになります。
次回は佐久長聖高校に入学後のお話しをさせていただきます。








