佐久長聖高校2年目(前半)

こんにちは!!

さて今回は佐久長聖高校2年目に突入します!
2年目からは前編、後編にわけてお話しをしていきたいと思います。

2年生になりチームでも中堅を担う大切な立場になりました。
後輩にはあの大迫傑選手を始め、実績のある選手が多く入学してきました。

自分自身でも親元を離れて1年間、心身ともに鍛えられたのを実感しました。
3年生を支えて、後輩をしっかり指導していく立場に気合が入ったのを覚えています。

走力に関しては少しは成長したものの
村澤選手や千葉健太選手に最後までついていけるほどでは全然ありませんでした。
5000mも15分をなかなか切れない状態でかなりくすぶっていましたね。

2年生になりまず大きく変化した点は、インターハイの選手に選ばれたことです。

ある日の練習後に両角監督に呼ばれて「3000mSCをやりなさい」と伝えられました。 1500mはそこまでのスピードがなく自分でも違うなと思っていて、5000mはチーム内で最も速い3人が選ばれるので、かすりもしませんでした!

こうして夏のインターハイ路線は3000mSCで戦うことになりました。

まず、陸上競技のインターハイについては各学校で各種目3人しか出場できません。

そして予選大会から上位6位までしか次のステージに上がることができないのです。

佐久長聖高校の場合ですと、
まず東信大会で6位以内で県大会出場。
次に県大会で6位以内で北信越大会に出場。
北信越大会で6位以内で全国大会に出場。
このような流れになります。

そして私が出場する種目の3000mSCとは3000m障害とも言います。
陸上されてた方や好きな方はご存知だと思いますが
知らない方からすると、障害!?障害物競走!?てな感じになると思います。笑

障害物競走は間違ってはいませんが
パン食いや飴探しなど楽しい障害物は1つもありません。。。笑
腰の位置ぐらいの高さのとても大きなハードルを
約80mおきに飛んで乗り越えていかなければなりません。
陸上競技場のトラックに普通のハードルが4台、
そして水濠と言う水を溜めた場所に1台の計5台を
飛び越えながら3000mを走らなくてはいけません。
3000mを走る間に合計35回も飛び越えることになります。

私は最初この種目を完全に甘く考えていました。
インターハイ前に普通の記録会に出場しましたが
遅くとも9分30秒ぐらいでは行けるだろうと思っていたのを覚えています。
スタートから前半にかけては順調でしたが
1500mを過ぎたあたりから足が全然上がらなくなり
ペースはどんどん落ちていきます。
更に、初めて飛ぶ水濠は着地の仕方が全然わからなく、ゴールでもないのに綺麗な両足着地を決めてしまいました。。。
体操で言うと間違いなく満点の着地です。笑
最終的には2位と僅差で勝ちましたが、9分50秒もかかってしまいました。

走り終わって「普通に走るより何倍もキツい」と強く体感しましたね。

そこから県大会まで何度走っても
9分40秒を切ることができませんでした。

県大会もギリギリの5位に滑り込み
何とか北信越大会の切符を掴みました。

県大会が終わったあとに
両角監督から「次の北信越大会が最後だと思え」と厳しいお言葉を受けました。

強豪校というプライドと自分の不甲斐なさに
かなり落ち込んだのを覚えています。

北信越大会前には調子もかなり良くなり
まずは全力で予選突破を目指しました。

スタートから先頭にぴったりついて
リズムを合わせながら集中して走ることができました。
そして思ったより余力を持ってゴールすることができ、何とか決勝進出することができました。
ゴール後にタイムを確認してみると、まさかの9分30秒の自己ベスト!
あれだけ何度頑張っても9分40秒が切れなかったのに、いきなり余力残しての大幅自己ベスト更新。
これは自分でもかなりの驚きでした!

決勝は開き直っている部分もあり、リラックスして臨むことができましたね。
先頭はかなりのハイペースで進んでいたので
周りのペースに惑わされないように自分のペース、自分の走りに集中しました。
その結果、なんと4位に入ることができ
全国インターハイの切符を掴みました。

当時の全国インターハイは佐賀県での開催でした。
地元九州ということでどうしても出場したかった思いが走れた要因の1つだったのかもしれません。

全国インターハイは福岡の博多に滞在しました。
久しぶりの地元で、家には帰れませんでしたがとても嬉しく思いました。
ただ、朝練時にTシャツにランパン姿で街中を走るのはかなり恥ずかしかったですね。笑

全国インターハイ中はなかなか調子が上がってこずに、調整もうまくいきませんでした。
初めての全国インターハイで雰囲気にのまれて、心身ともに余裕がありませんでした。
スタートからすぐに余裕がなくなり、キツい走りになりました。
しかし、このままズルズルと情けない走りでは終わりたくなかったので、後半のことは考えずに先頭を引っ張りました。
2000mまで先頭を引っ張る積極的な走りをすることができましたが、そこから留学生や力のある選手がペースを上げていき、ついていくことができませんでした。
しかし、全力を出し切っての予選敗退なのでまったく嫌な感じはありませんでした。

ただ緊張と暑さにやられたのか
脱水症状と熱中症になってしまい
試合後の両角監督から愛ある説教を受けていましたが、意識が朦朧となって全く耳に入ってきませんでした。ある意味幸せでした。笑
その後クールダウンをするためにサブ競技場に向かう途中で、倒れかけてしまいました。
気合いで踏ん張りましたが、サブ競技場の木陰までたどり着いたら意識が飛びました。笑
1時間ぐらいたったら目覚めて、何とか復活することができました。
本当に色々な経験を積むことができたインターハイだったと思います。

これから暑くなってきますので、皆さんも水分補給とこまめな休憩をとりながらトレーニングを行なってください。もう根性論が通用する世の中ではありませんよ!笑

次回は佐久長聖高校2年目後半です。
それでは今回はこの辺で!

〔監修〕itoix公式ランニングアドバイザー
藤井 翼(Tsubasa Fujii)


プロフィール

◯出身校
元岡中学校(福岡県)/佐久長聖高校(長野県)/山梨学院大学(山梨県)

中学3年時には1500m、3000mの2種目で全国大会に出場。
高校は長距離の名門、佐久長聖高校に進学。
チームメイトにはNIKEの大迫傑がいる。
個人種目では3000mSCを専門とし、3年時のインターハイ北信越大会では当時の長野県高校記録となる8分57秒をマーク。その後の全国インターハイでは優勝した留学生に次ぐ日本人トップの2位に入る。
冬の全国高校駅伝では日本人チームの高校歴代最高タイムで総合優勝。個人でも5区(3km)を8分24秒で走り区間賞。これは現コースになってから最も速いタイムであるため、コース新記録という扱いになっている。

◯保有資格
日本体育協会公認スポーツリーダー/日本陸上競技連盟公認ジュニアコーチ

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