職人魂の結晶
itoixの全ての商品は西口勝博氏が代表を務める
株式会社ニット・ウィンにて製造を行っている。
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澄んだ空気、秋色の樹々、
どこか懐かしく感じる風景の中にその会社はある。
奈良県の葛城市の株式会社ニット・ウィン、
株式会社itoix(イトイエックス)の故郷だ。
和紙の靴下Itoitex(イトイテックス)は、
株式会社ニット・ウィンの代表、西口勝博氏無くして誕生し得なかった。
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なぜなら、Itoitexがこれまで、
世の中に出ていない素材であったこと、
そして何より、商品化のきっかけが、
糸井 徹氏が自らの水虫に効果があったことから、
5本指での商品化にこだわったからだった。
糸井氏は、大手を含め、様々なメーカーに試作を依頼するも、
どのメーカーからも断られた。
ようやく依頼出来たとしても満足な品質で仕上がって来ず、途方に暮れていた。
そんなとき、縁あって箱根で一夜をすごした人から紹介されたのが、
株式会社ニット・ウィンの西口勝博氏だった。
灯台下暗しとはよく言ったもので、大阪にいる糸井氏が紹介された
株式会社ニット・ウィンは、隣県の奈良県の会社だった。
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奈良県では、戦後、農家の副業として靴下産業が広まった。
ニット・ウィンは、戦後、兵役から戻った、
創業者・西口勝次が靴下の卸販売を始めたことからはじまり、
1950年頃から、靴下の手廻し編み機を導入し、
卸販売では無く、靴下の製造を自ら行う老舗の靴下メーカー。
糸井徹氏が相談に行った時、二代目 西口勝博氏が
サラリーマンを辞めて家業に参加し始めた頃だった。
家業に参加し始めた二代目 西口勝博氏は、
「人ができんことやらんと生き残っていけない」という思いで、
量産品とは一線を画した経営を目指していた。
そんな時に、2人は出会った。
相談を受けた西口勝博氏は、早速試作に取り掛かった。
5本指ソックスの製造に自信を持っていたが、
実際試作に取り掛かってみると、想像以上に困難が待ち構えていた。
冒頭触れたように、Itoitexがこれまでに無い素材であった為に、
マニュアルが存在せず、
職人としての経験と勘で、
一から機械を調整しなければならなかった。
また、靴下という性質上、ある程度の伸縮性も求められるのだが、
皆が知るように和紙の繊維には伸縮性がほとんど無い。
初めは、届いた糸の半分も製品化出来なかったという。
届いた糸で機械を調整しながら試作をしては、
糸井徹氏に糸の改善を提案し、また届いた糸で試作を作ってを
何度も何度も繰り返し、商品として販売出来る品質を安定的に出せるようになるまでに、
3年もの歳月を費やした。
二人は、何度も何度も改良を重ねて2年もの歳月が経ったころ、
呼吸する和紙の靴下は誕生したのである。
1993年のことである。